オパルパル・チョン・ニャンニさんの体験談

私は30代の韓国アガシ大好きな男です。昨年4月から11月までの約8ヶ月間、韓国の某大学に留学していました。留学以前、韓国には旅行で14回訪れており、置屋や床屋の韓国風俗も何度か体験。

ある程度韓国の風俗にも精通していたので、留学生活を送りながら、時にはアガシに癒されたいという願望も持ちながら、海を渡りました。これは留学中におけるアガシとの交流記です。私は8ヶ月の間、ひとりのアガシを追い続けました。

昨年4月初め、ソウルでの生活が始まって早々、私はソウル市内の“ある”置屋に行きました。外国での初めての生活で緊張していたこともあったのか、精神的にそして肉体的にも癒されたくなって!

私が韓国でアガシをチョイスする際、絶対に妥協はしません。自分の理想系がいない時は「該当者ナシ」ということで遊びません。私は美人系よりカワイイ系の顔立ち、そして絶対にこだわるのが巨乳・爆乳であるかです。

三度の飯より大きくて柔らかなオッパイが大好きな私はこの日も
置屋街をくまなく歩き、理想のアガシを探し続けました。1時間近く置屋街を縦横無尽に歩き続けてもビビッとくるアガシが現れません。

もうだめだな、引き返すか、他のエリアに行こうかな・・・・・
そう諦めかけていた時、ある店のガラス窓の向こうに置屋にいるとは思えない純朴な顔立ちをし、はちきれんばかりの胸の谷間をしたアガシが!その大きな爆乳に目が釘付けになり、私の下半身はGOサインを出しました。

さっそく店に入ってお金を払い、お互い自己紹介。この当時、私の韓国語は旅行会話プラスアルファぐらいの基礎レベルで、そんなに込み入った会話はできなかったけど、お互いの自己紹介をすることくらいは何とか出来ました。そのアガシは笑顔で「名前はスンヒョンで22歳です」と答えました。これが私とスンヒョンとの出会いでした。

服を脱いで全裸になったスンヒョンを見てびっくり!オッパイがすごく大きくて(GHカップぐらい)、きれいで、形もいい!その爆乳に一目惚れです。スンヒョンの爆乳を揉みまくり、吸いまくり、至福のひと時を過ごしました。そしていざ交わる時になって、「コンドームは?」って聞かれましたが、つい気が動転してしまい、「いらない」って答えました。

騎乗位の体勢からも私の手はスンヒョンの柔らかな爆乳を包み込み、そしてスンヒョンの中に生で発射しました。

私はすっかりスンヒョンを気に入りました。そしてその後は2週間に1回くらいのペースでスンヒョンに会いに行き、スンヒョンの柔らかく、大きな胸に甘え、スンヒョンの身体の中に生で放出し続けました。

4月の末に、スンヒョンの店を訪れた私は彼女に携帯電話を購入したことを報告しました。そしてお互いの携帯番号を交換して、それからは時々電話をしたり、携帯メール(もちろん韓国語で)もするようになりました。

5月のある日の夜、スンヒョンに会いに行ったのですが、店にスンヒョンの姿はありません。店のピキに聞くと、「あ~、スンヒョンは店を辞めて田舎に帰ったよ」と。。。この日は置屋で遊ぶことなく、すぐ下宿に戻りました。

他のアガシじゃだめなのです。スンヒョンじゃなければだめなのです。

すぐにメールを送りました。「店を辞めたの?田舎に帰ったの?」って。

次の日、スンヒョンから返信が来ていました。「お店と折り合いが悪く、店を変わりました。田舎に帰ったっていうのは店を辞めるための口実なので、安心して。新しいお店に来てね!」と。それを見て安心しました。

さっそくその日の夜、スンヒョンに電話して新しい店に案内してもらいました。一時は本当に田舎に帰ったと思っていただけに、この日はスンヒョンを思いっきり抱いてあげました。スンヒョンも献身的な奉仕をしてくれて。。。。

夏頃にはスンヒョンはまた店を変え、そして私はスンヒョンを追いかけてまた新しい店に出向きました。この頃になると私も韓国語でコミュニケーションが取れるようになり、スンヒョンと交わる前のおしゃべりタイムも充実するようになりました。留学先の大学の授業の内容や成績を報告したり、旅行の写真を見せたり。

スンヒョンも私の韓国語を上達したと言ってくれるようになりまし
た。コミュニケーションが取れることに比例して、スンヒョンのサービスも心がこもったものになってきます。気持ち良くさせようと一生懸命舐めてくれるし、オッパイでのご奉仕も以前より濃いです。

そして季節は秋を迎え、11月にいよいよ帰国という時になりました。帰国前々日、スンヒョンに会いに行きましたが、運悪くお休みとのことでした。帰国前日は私の送別会があり、結局仲間と明け方まで飲んだり語ったりしていたので、気にはなっていたけど、最後にスンヒョンに会いに行くことは出来ませんでした。

日本に帰国後、時々スンヒョンのことを思い出し、また韓国に行きたいという気持ちが湧き上がってきました。そして今年5月のGWに韓国を再訪する機会に恵まれ、ソウルに到着してその日の夜に、スンヒョンの店に出向きました。

路上で客引きをするピキが「あ!スンヒョンのパートナーでしょ?」と覚えていてくれたのですが、肝心のスンヒョンは「3月に店を辞めて田舎に帰った」とのことでした。

すぐスンヒョンにメールを送りました。しかし私が韓国に滞在していた5日間、結局返信はありませんでした。

スンヒョンが店を辞めて、田舎に帰ったのか、他の置屋街で働いているのか定かではありません。しかし、私の韓国留学中、素敵な思い出を作ってくれたスンヒョンが、幸多き人生を送っているのなら、私はそれで嬉しいです。もう会うことはないかもしれないけど、留学中の私の“慰安婦”だったスンヒョンを、私は忘れることがないでしょう。

追伸:初期の頃は気が動転して何度か「生・中出し」していましたが、途中からはちゃんとコンドームを着用しました。また先日エイズ検査をしてきましたが“シロ”だったことを報告しておきます。